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2008年03月27日
春ですね
皆様、いかがお過ごしでしょうか。春が来て少し気分が浮かれ気味の龍之介です。
暖かくなると気持ちもどこか陽気になってしまうらしく、妙に心癒されるものを感じます。
雪もだいぶ解けたことで、まだ4月になっていないのに自転車の出番が到来し、早速自転車を乗り回す日々となりました。
この前の日曜日も、特に予定がなかったので、自転車に乗ってあてもなくブラブラしてしまいました。
ただ、心地よい風が吹く中でのサイクリングというものはなかなか気持ちいいもので、日常の煩雑したことから一瞬だけ解放されたような気にさせてくれました。いい形でストレス解消できるし、運動不足も解消されるので、一石二鳥と言ったところでしょうか。
ちょうど太陽が傾きかけた頃、昔よく行った高台の近くにいたので、懐かしさもあって急な坂道を登って高台に出向いてみることにしました。
まだ本調子ではないため、坂道の途中で自転車を押す羽目になりましたが、何とか到着。視線の先には昔見た頃とあまり変わらない高台の景色が私を待っていました。
夕暮れの茜空とマッチングした光景にしばらく見とれてしまいました。ここ最近、色々と忙しさに追われて、夕暮れの景色を見ることがなかっただけに、まだこの世の中にも素晴らしい景色が残っているんだなとしみじみ感じ、元気が回復した気がします。
自分が辛い状況に置かれているときなどに、周りの状況が見えづらくなることがありますが、そういうときにこそ、ちょっと視野を広くすればこんな景色もあることを分かっていれば、心に余裕が持てるんじゃないかと、そんなことを考えてしまいました。
自分を元気付けされてくれる場所を見つけるのも、サイクリングの楽しみの一つです。運動不足解消にもなりますし、春の楽しみの一つにしてみてはいかかでしょうか?
ちなみに、春に限らず、夏でも秋でも楽しめますよ。
2008年03月15日
子供の時間
先日聞いた話。
中学生のお子さんを持つお母さん。お子さんは部活や習い事で忙しい。ある時「私はいつ遊んだらいいの?」とお母さんに訴えてきたらしい。
それを聞いたお母さん。「部活も習い事も、本人がやりたいって言うからやらせてたのに。子供の理屈ってよくわからない」と不思議に思ったそう。
学校が終わると、放課後という時間があります。
でも、その時間って今、子供のものでしょうか。
部活も習い事も塾も、何にもしていなかったとしたら、なんとなく不安になったり。
休んだり遊んだりすると、返って疲れたり。
ケータイにさわっていないと不安になったり。
「三丁目の夕日」って映画が人気でしたよね。
自分は生まれていないから、想像するだけなんですけど、あの時代の子供は「何もしないと不安になる」なんて気持ちを日常的に感じていたでしょうか。
いつも見えない何かに追いたてられながら、成長を続ける自分自身と向かい合う。今時の子供は、けっこうハードな面もあると思います。
話は変わって、子供の読書離れなんてものが言われます。
個人的には、本を読むには無駄な時間が必要だと思います。
本が好きな人は、何かの目的のために本を読むわけじゃありませんよね。
最近は、「成功の秘訣」とか、目的のために読む本もけっこう流行りですけど。でも基本的には、本好きな人ってただ読みたいから読むんじゃないでしょうか。
誰かのためになったり、利益をもたらしたりするわけじゃなく、ただ自分のためだけの時間。だからこそ、心の糧にもなる時間。
そんな「自分だけの時間」を子供たちが取り戻すためには、どうすればいいのでしょうか。
2008年03月08日
失って初めて気付くこと
皆様、いかがお過ごしでしょうか。ようやく体調が回復傾向に入った龍之介です。
結局のところ、何が原因でこんなに体調不良になったのかは分からないのですが、規則正しい生活をすることで、何とかひどい状態を脱することができました。
よく、医者からのコメントや健康に関する書物などで「規則正しい生活を送りましょう」というアドバイスを見かけるのですが、結局基本はそれが大事なんだなと実感しました。
心のどこかで「口で言うのは簡単だけど、それができれば苦労しない!」と思っていたんですけど、生活のリズムというものを大切にしないとすぐに体調を崩すということを実感したので、今後はなるべく規則正しい生活を送ることにします。
あと、休日だからと言ってゴロゴロ寝てばかりだと、体力が回復するどころかかえって疲れてしまうそうです。
疲れているんだから、眠ることで回復させようという目的なのですが、それがかえって生活のリズムを崩してしまうです。この点は体内時計とも重要なかかわりがあるようです。
ですから、昼間の明るいうちは体を動かし、日が暮れてからいつもより若干早めに眠るぐらいがベストだとか。一日に過ごし方にも色々と工夫がいるようです。
そんな訳で、体調を崩して改めて健康のありがたみをしみじみと実感しました。
あと、健康以外に普段は目立たないし、何気ない存在だけど、失ってみてそのありがたみや不便さを実感するものって結構ありますね。
先日はハサミが行方不明になってしまい、とても困ってしまう事態に直面しました。その後、無事に発見されましたが、その時は見つかってよかったと心から思えました。
もしかしたら、この日記を見ているあなたの近くでも普段は目立たないけど、無くなるとそのありがたみが急に出てくるものがあるかもしれませんよ?
2008年03月03日
明日天気にな〜れ
明日は和の輪の第1回目の移動劇場「和の輪庵」の語りの会です。
準備は整いました。
うちの顧問は95才の国文学者。
なんとか、明日お出で頂けるようにと、手配したがやはりダメだった。
一人暮らしなので、介護タクシーを用意したが、付き添いが見つからず
支度、火の元、鍵、お弁当のキャンセル、などなど、家を空けるには
たくさんのチェックが必要だ。
家に誰かがいてくれるということは
本当はとてもありがたいことなんだ。
明日の集いはみんなで睦まじく過ごしたいと思う。
一期一会・・・
今、この時を十分に味わって
感動して、こころを耕そう。
2008年03月01日
学習会
学習会を月に一回やっている。
そこでの立場は講師とコーディネーターだ。各人の能力に応じて、学習が円滑に進むように気配りしている。
一般に、学習者には、恥をかきたくない、という気持ちがあり、学習活動を消極的にしている。
皆の前で恥をかかせられるのは屈辱だ。好ましくない自分は認めたくないし、後で話題になりたくはない。
人間は常に序列、格付けをしているようだ。
わざと間違えやすい発問をされるかもしれない。学習者にとって学習会は緊張の連続だ。間違えて、評価が下がってしまうのを怖れる。
評価が下がれば、自分より評価が落ちる相手が現れない限り、居心地が悪くなる。
そもそも、学習とは何であろうか。
そもそも学習とは、未知を既知にするための自由な誇り高い精神エネルギーの活動ではないか。
学習の場は自由な精神空間だ。権威も権力も無い。支配もなければ、威圧もない。
そこにあるのは、真理に裏打ちされた人への尊敬であり、愛と勇気に満ちているべきだ。
また、学習に対する姿勢は未知なるものへどう取り組むかという姿勢だ。それは、自分の人生にどう取り組むか、という姿勢と同じだ。そして、既知となったことがらとどう向き合うか、につながっていく。閉じた知識では力を失ってしまう。それは開かれなければならない。
だから、決して奢ってはならない。侮ってはならない。貶めてはならない。
「わかりません」という答えで、すべてを終わりにしてはならない。