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2007年12月29日
出会うということ
出会いはいつも不思議。
今年も
新しい出会いや
再会があったなぁ。
特にこの12月後半、
和の輪の望年会は
ひとりひとりと語り合えて新しい発見があった。
そして、12月22日23日の
催眠療法士の講習会で
えびすさんや龍之介さん、和尚といったカウンセラーの面々と
直接会えたことは本当によかった。
12月24日は、2年間続いた「浄瑠璃研究会」の最終回。
よくやった!よかった!
来年からは「古典研究会」として
引き続き米津先生のおうちで学ぶ。
2008年は、10か月かけて「小倉百人一首」を味わう。
米津先生は来年96歳。
すばらしい人生!
12月25日は
大阪の生田神社で行われた「浄瑠璃因会」の総会に
初美師匠に連れられて出席。
淡路島からわたしの相方三味線に
なってもらう友喜久姉さんも出席。
初顔合わせが実現した。
とても上手、情熱的な三味線。すばらしい。
来年はきっと、舞台に乗りたいと思う。
12月27日午前、
信じられないことに、
近松研究の信多純一先生と出会えた。
紹介者は三宮のあいりのママ。
「近松のテキストが違うといってるかたがいるんだけれど・・・」
「ぜひお会いしたいです」
しのだ・・・という名前は確かにきいた。
しかし、わたしの頭の中は
テキストを作ってくれたうちの理事の篠田先生と
テキストのまちがいを指摘してくれた しのだ氏がちょっとごちゃごちゃに
なり、「しのだ」は「篠田」と思い込んでいた。
「しのだ」は「信多」だった。
お会いしてびっくり!
「えぇ、かの信多純一先生ですかぁ・・!」
先生の研究室は芦屋にあり
魅力的な本がいっぱいだった。
来年また伺うことを約束できた。
大いに学べるチャンス到来に感謝だ。
なにしろ近松研究では日本でトップクラスの先生なのだ!
そして、ツイてることに、
その午後、
文楽の大御所・伊達大夫師匠に
義太夫のお稽古をつけてもらえた。
わたしの師匠である初美師匠が
「伊達はんに稽古つけてもらおう」
と入院先の病院に連れて行ってくれた。
伊達太夫師匠の的確なアドバイス。
役の性根のこと、
三味線とのあい方のこと、
本当に僥倖的な体験を
させてもらった。
貴重なテープが残った。
その日の夜は
大阪の応援者たちとの忘年会。
来年への希望が持てる話。
「いない」とか「できない」と思わずに
「きっといる」「できる」と
信じるほうが楽しいよね。
来年は
「むずかしい」「できない」「無理」
「いない」
などというネガティブなことばを
「簡単さぁ」「できるよ」「了解」
「きっといる」
というポジティブなことばを
つかおう。
潜在意識を
ことばで浄化するのだ。
来年も
新しい出会いと再会を期待する。
来年もよろしく〜。(^0^)V
穏やかなお正月をお迎えください。
2007年12月27日
2007年も、もう終わりですね
皆様、いかがお過ごしでしょうか。毎年のことながら、スーパーのクリスマスから新年に向けての様変わりの早さに驚く龍之介です。
去年もこのブログに書きましたが、やっぱり今年もそう感じてしまいました。それを思うと、クリスマスというものは実はとても儚いものだったんじゃないかという気もします。
それとは別に、年の瀬の夜空を見上げることが結構好きなのです。星が見える澄み切った夜空を見上げながら、雪を踏みしめる足音しか聞こえない静寂の中で「あぁ、今年ももうすぐ終わるんだな」と今年一年をしみじみと振り返るのが毎年のパターンとなっております。
そんな折、2007年で最も印象的だったニュースを考えていたのですが、私の中ではやはり坂井泉水さん(ZARD)の死去が印象に残っています。
もともとZARDのファンで、CDを何枚も持っていますし、大学受験を目前に控えた頃は「負けないで」を何度も聴いて、自分自身を鼓舞することも多々ありました。また、透明感のある歌声に加え、どこか清楚な雰囲気を持った佇まいに、本気で恋心を抱いた時期もありました。まさに自分の青春の1ページを作った人と言えるでしょう。
それだけに、訃報をニュースで知ったときはショックでしばらく固まってしまいました。昔に比べて恋心は薄れたものの、やはり好きな人の死というものは受け入れ難く、辛いものでした。
せめて自分にできる供養と言うことで、家にあるZARDのアルバムを聴いたのですが、久しぶりに聴いた名曲の数々から、「自分だってそんなに強いわけじゃないけど、挫けることなく共に歩いていこう」という励ましのメッセージのように感じられました。
例えて言うなら、厳しい指導をする鬼監督よりも、陰ながら支えてくれるマネージャーとでも言うべき感じでしょうか。彼女に死に対して落ち込んでいるはずなのに、いつの間にか励まされてしまいました。
そして、そこから色々と大切なことも学び取った気がします。
誰かを励ますにしても、無責任に「頑張れ」と言うよりも、その人の心の苦しみに共感し、それを理解することで、真の意味での励ましができるんじゃないかと思うのです。
自分自身も多くの人に愛されたZARDの曲のように、人の気持ちに共感できるような人間になりたいと改めて感じました。
今はまだ道半ばですが、2008年はカウンセラーとして更なる成長を遂げたいと思っています。
そして、私の今年のブログも今回が最後です。皆様、よいお年を。
2007年12月25日
元気になりました
なかなか書けなかったのですが、ようやく書けるようになりましたので、アップします。
実は一ヶ月以上落ち込んでいました。
きっかけは、たまたまパラグライダーのパイロット仲間が病に倒れ、フライトを断念する知らせを聞いたことでした。折りしも、人生の再評価をしている最中のことでした。
電話で話しをすると、笑いながら、やっと車をノロノロ動かすことができたよ、と喜んでいた。
そこから、スパイラルが始まりました。
彼とは、たまにしか一緒に飛ぶ機会は無かったけれど、彼ときっちり編隊を組んで飛んだときが一番面白いと思ったし、楽しく、それを共感できた。空の男になることができた。しかし、その彼が、もう空を飛べなくなるとは。
喪失感と悲しみの中で、11年間の飛行が空しくなり、ぽっかりと、心に穴が開いたような状態がつづいていた。
そして、それは一瞬の出来事でした。
カウンセリングの前の日、クライアントに対するプレトークのリハーサルをしていたとき、突然、伝えたいという思いが胸につかえ、言うべき言葉がなかなか出てこないもどかしさの中で、「話したい」という強い衝動がこみ上げ、涙が出てきました。
熱い想いで胸がいっぱいになりあふれだしました。
「わたしのすべての力を駆使して、あなたを全力で支えます。守ります」
そして、そのとき、生涯一カウンセラーとして生きる意志を決めました。
やっと、立ち直りました。
2007年12月13日
好物・ラーメンの怪
皆様、いかがお過ごしでしょうか。最近は麺料理を作ることが多い龍之介です。
段々と冷え込みが厳しくなる中、ストーブをなるべく使わないで暖を取るためには、こういう暖かい食べ物を食べるのが一番ですね。
ふと思ったのですが、「鍋焼きうどん」と言っても別に焼いてはいないですよね。むしろ、茹でているんじゃないかと思うのですが、インスタントの焼きそばも焼いてはいないのに焼きそばといっているので、この辺については何もなかったかのように進行します。
さて、話を変え、私は麺類の中ではラーメンが一番好きなのです。
ラーメンはあまり嫌いだという人を聞かないほど(嫌いな人がいたら申し訳ありません)に多くの人に愛され、国民食の一つに上げられていますが、実はここに一つ落とし穴があります。
と言うのも、「ラーメンが好き」と言う人と出会っても、その好みが全然違うというのはよくある話で、好物・ラーメンというカテゴリーがあまりにも広すぎると言うものです。
実際に具体的な好みの要望に応え続けた余り、ラーメンだけで6000通り以上もメニューになってしまった店もあるぐらいなのですから。
私の場合、味噌ラーメン派で、スープはこってり好み。麺は玉子入りの黄色い縮れ麺で、具材にもやしは必須。しかも、そのもやしも出汁で茹でたものよりも炒めてシャキシャキにしたものがいいという条件が付くのです。
わがままと言えば、そうかもしれませんが、こだわりを追究するとどうしてもそうなってしまうのです。
多少は妥協しますが、自分の満足感を埋める上ではこの条件を満たした方が望ましい点では譲れないですね(たまに醤油や塩も食べますが)。
そのせいか、同じような嗜好を持っている人や店と出会うのはなかなか容易ではなく、ちょっとした宝探しのような感覚に陥ることもあります。もしかしたら、今まで味わったことのないものから新たなる好みが生まれるかもしれませんし、その点でも宝探しと言えるかもしれません。
ただ、嗜好はともかく同じようにあれこれとこだわりを持っている人も多く、一言に「ラーメンが好き」と言っても好みが千差万別なので、「ラーメンが好き。特に、味噌で、こってりして、玉子入りの縮れ麺で、もやし入りのが好き」と具体的な説明が必要となるかもしれません。
もし、オススメのラーメン屋を教えてもらっても、全然自分の好みと違う店を紹介された経験がある人は、このような具体的な好みを説明する必要があるかもしれませんね。
2007年12月09日
儀式について
一人娘が結婚式を挙げた。
今年の2月に家を出て、純ちゃんと暮らしはじめ、
3月にあちらのご両親とお会いし、お互いに結婚を認めあい
7月7日に入籍。
ずるずると
気持ちがすっきりしない日々が続いた。
結婚式をあげてもらいたい、と2人に話し、
この12月1日に
ささやかな結婚式を挙げてもらった。
挙式披露宴までの数か月、
充実していた。
2人は両家の親になんら心配させることなく
2人で準備を進めた。
娘の友達が30人結婚式から参加してくれた。
幼稚園、小学校、中学校、高校、音楽学校、職場で出会った友人・・・
わたしたち夫婦はほとんどの友達を知っていた。
みんな泣いてくれた。笑ってくれた。「おめでとう」と祝福してくれた。
本当にありがち、と思った。
儀式をすることによって、
気持ちがすっきりした。
娘は、わたしたち親の元を巣立ち、
純ちゃんと二人で新しい家庭を気づいていくことを確認できた。
小山家のみなさんにも親戚となることを確認し合えた。
人の一生には
人生の大きな変化が起きる。
そのときには、儀式が必要なのだと思う。
日本には
新年、1日の始まり、お盆、葬儀、誕生、結婚、入学、卒業、七五三、成人式、・・・・
人生には何度も節目とならざるをえない事が起きる。
そのとき、けじめとして儀式をしてきたんだ。
これは心の整理のためのものだ。
世界中で儀式がある。人間の知恵だと思う。
わたしたち夫婦は、
小百合からうれしいうれしいことばをたくさん貰った。
「育ててくれてありがとう」
人生は「出会いと思い出つくり」だとつくづく感じた。
2007年12月04日
「休む」ということ・その2
NHKの『週間子供ニュース』を何気なく見ていたら、こんなニュースが目に入りました。
子供たちにアンケートをとって「今、1番やりたいこと」を尋ねたところ、「ゆっくり寝る」という答えが1番多かったそうです。
子供も大人並みになっている、と随分前から言われるようになっています。例えばストレスとか、いろんなものが。
人は生き物ですから、無理をしたらどこかに歪みが出るのは当たり前のことなんですが、今は無理をするのが「普通」になっちゃってるんでしょうか。だとしたら、まずはその「普通」を考え直してみたらどうかな、と思いました。
子供には、「休む」ということが大人よりさらに大事そうですよね。
どんな充実した、価値ある経験をみっちり詰め込んでも、それを消化するための時間を与えられなかったら、逆効果。
上記のアンケートの答えの上から何番目かに、実は「何もしないでぼーっとする」というのがありました。
自分の経験に照らすと、こういう答えをする子って、今けっこうきついんだろうなあとちょっと痛かったです。