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2006年11月29日
久しぶりに
ようやくパソコンの前に座ってみる気になった。
やはり母が亡くなった事は寂しい。
頭の中をようやく整理がつきだした。
泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生、同じ一生なら笑って暮らしたほうが良い。
母の言葉を思い出した。
まさか腰痛から始まってこんな事になるなんて思ってもいない事であり、
この2ヶ月間のあっという間の出来事。
人の命のはかなさ
ああしてやりたかった。こうすればよかったと後悔してみても仕方なく。
これから先は両親からのバトンをしっかりと受け継ぎに受け渡すために生きる。
一期一会
これからの出会いを大切に、もう会えないかもしれない出会いに悔いないように。
暗い書き込みになってごめんなさい。
書き込みができたので、もう元気になれそうです。
小松左京作家生活45周年記念パーティ
今日は小松左京先生の作家生活45周年と(株)イオ25周年と小松全集刊行記念と日本沈没第2部完成とこ小松CD発売記念と、たくさんのお祝いごとが重なったのでひらかれたパーティだった。
各界第1線の方達が、400名近く参加。
はじめに放送された25年の歩みのビデオが素晴らしかった。
やはり左京先生は日本の知の巨人だと、つくづく思った。
なんでもおもしろがって、興味津々で、
みんなで盛り上がって作ってきた「お祭り男」だ。
みんなを盛り上げる小松先生のそばには、乙部さんという優秀な秘書がいた。
人が人に恵まれるということは
幸せなことだし
そういう人を引き寄せる小松先生がすごい、ということになるのだろう。
2006年11月26日
今年を象徴する言葉
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。最近、乾燥肌になっている龍之介です。背中がかゆいです。
さて、毎年恒例のユーキャン新語・流行語大賞で、2006年度のノミネート60語が発表されました(ちなみに、ベストテンは12月1日に発表されます)。
その一つ一つ見ていくと、2006年を象徴する言葉が次から次へと出てきて、「こんな言葉あったなぁ」とふと思い出に浸ってしまいました。
今年は政治関連の言葉が少なかったような気がします。毎年のように数々の言葉を残した小泉劇場が終幕したのがやはり大きいのでしょうか。ただ、小泉政権が残した「格差社会」の問題は広がる一方で、低所得層を示す「貧困率」もアメリカに次いで日本が2番目に来ているなど、安倍総理の掲げる「美しい国」への道のりはかなり厳しいものと予想されます。まずは、「下層社会」や「下流社会」の人々にも「再チャレンジ」の機会を与えられることを望みたいです。
あと、毎年お笑い芸人の流行語に注目しているのですが、今年も桜塚やっくんの「がっかりだよ!」、ザ・たっちの「チョット、チョットチョット」、オリエンタルラジオの「デンデンデデンデン(武勇伝)」がノミネートされていました。
残念なのはタカアンドトシの「欧米か!」が入っていないことですね。結構好きだったのですが、欧米諸国への配慮で入れなかったのでしょうか。ただ、過去にもダンディ坂野の「ゲッツ!」や長井秀和の「間違いない」もノミネートすらされなかったことがあるので、仕方のないと割り切るしかないようです。
やはり、今年の注目株はスポーツ関連の言葉ではないでしょうか。
「ハンカチ王子」や「イナバウアー」、「新庄劇場(SHINJO)」など印象深いものから、「カー娘」や「サムライブルー」などそういう言葉もあったなぁというものまで、60語中13語もノミネートされているのですから(ジダンの「頭突き」まで入っていた)。
今年は、トリノ五輪にはじまり、WBC、ドイツW杯の国際的なスポーツの祭典が目白押しだったのが大きいようです。もちろん、国内も高校野球や日本ハムの活躍など見所が多かったですし(あくまで地元びいきの主観に基づくものですが)、年間を通じて、見所が満載の1年だったと思います。これだけ盛り沢山な年はしばらく無いでしょうね。
しかし、改めて振り返ると、今年は「飲酒運転」や「偽装請負」、「未履修」に加え「いじめ問題」など、当事者ならずとも思わず「シンジラレナ〜イ」といった事件が多い年でもありました(本来、「シンジラレナ〜イ」は想定外に嬉しいときに使う言葉だと理解しているのですが、あえて逆の意味合いで使わせていただきました)。何とも世知辛い世の中です。
来年はもっと明るいニュースに包まれた1年になって欲しいものです。……と締めくくったのはいいのですが、今年はまだ1ヶ月以上残っているので、まずは残された2006年を有意義に過ごしていくことにしましょう。
書店にて
この時期、書店に行くと、来年のカレンダーが並んでいます。最近は可愛い仔猫や仔犬の写真が多くて、つい欲しくなってしまいます。
でもカレンダーって、なぜかタダでもらうことが多いんですよね。車屋さんとか、電気屋さんとか。結局はあまってしまったり。
たまには1つくらい、自分の趣味で買ってみようかとも思いますが・・・・・・。でも、かける場所がない(笑)。
インターネット書店が急激に伸びているらしいですね。自分もたまに利用しますし、田舎に住んでいるのでやっぱり重宝します。本だけでなく、ゲームソフトやパソコン関連、DVDなんかも頼めますし。
最近は電子書籍、なんてものもあるらしいです。
一方で普通の本や書店が無くなってしまうんじゃないか……なんて危惧する声も聞かれますが、でも無くならないですよね。
というか、無くならないでほしいです(笑)。
本が並んでいるあの空間を歩くのは楽しいです。本の装丁や陳列の仕方も工夫されていて、売れ筋の本なんかもわかりますし。
最近読んだ本は、宮部みゆきさんの『ブレイブ・ストーリー』。映画が面白かったので。
私はなるべく地元の本屋さんを利用するようにはしているのですが、さすがに無いものはしょうがないので、そういう時、ネットで注文しています。こういうのは田舎の悲哀でしょうか。
「本屋さんに注文しないの?」と思われるかもしれませんが、あんまりあてにならないというか、よほど気の長い人でないと・・・・・・(苦笑)。
話題の本でも、店員さんが知らなかったりすることがあるんですよねえ。
ともかく冬が近づきつつある今、雪が降って自転車が使えなくなる前に、また書店をぶらつきに行きたいと思う今日この頃です。
2006年11月24日
ああ、義太夫
城谷小夜子です。
昨夜稽古から帰りました。
昨日は、近松門左衛門さんの命日だったので、
尼崎の広済寺にお参りに行きました。
義太夫は、「尼崎の段」を稽古しています。
う〜〜ん、なかなか手強い。
きちんと覚えなさいと、師匠にいわれています。
来年の因会にでるかでないかの瀬戸際です。
決めるのは、実はわたしなんだけれど、決心できないということは
出演の奇跡はおこらないということ。
どうしても出たいと、決意しても、
出られるとは限らないのですから、
本当に必死で稽古しないと
きちんとした舞台が出来ないのです。
う〜〜ん、悩む私です。
2006年11月18日
またパソコンが・・・
我が街に初雪の便りが届きました。
窓の外は雪景色です(すぐ溶けてしまうでしょうけど・・・)。
パソコンが不調です。
こちらのブログも、先週勝手にお休みしてしまいました。すみませんでした。
修理屋さん?に見てもらっていたのですが、メーカーまで送らなければならないかもしれません。
データが消える可能性もある、と言われて戦々恐々。
「データのバックアップはとってありますか?」と聞かれたのですが、「バックアップってどうやるんですか?」とは、今更聞いてはいけないのでしょうか(笑)。
ワードやエクセルなどのソフトの使い方よりも、もっと基本的な「パソコンの使い方」を勉強しなくちゃいけないのかな、と思いました。
以前修理に出した時は1ヶ月くらいかかってしまった気がするので、今は不安な気持ちです。
またこちらにも、ご迷惑をかけてしまうかもしれませんね。
それにしても、自分のパソコンがないとこんなに落ち込むのは、やっぱり私はパソコンが好きなんでしょうか。
2006年11月15日
今後必要となる能力
北風が身に染みる季節になりましたが、いかがお過ごしでしょうか。寒いのはあまり得意ではない龍之介です。
さて、先日の「熱血!平成教育学院」を見ていたら、総合学習の一環としてコミュニケーションを学ぶ授業を行う学校の紹介がありました。
この授業は、挨拶にはじまり、常に笑顔を浮かべること、相手の目をしっかり見ること、相手に分かりやすい説明すること、相手の答えを上手く引き出す質問をすることなどを通じて、コミュニケーションに必要な様々な能力の学習をするというものでした。
このような能力を高めることによって、国語の言語能力を高めるとともに、いじめや学級崩壊などの子供を取り巻く問題を未然に防ぐのが狙いとのことで、かつて教育関係の仕事をしていた経験から、非常に興味を惹かれるのを感じました。私自身、前々から自分の気持ちを伝える上で、まず自分がどんな状態であるかを的確な表現でまとめる必要があり、そのためにはボキャブラリーを高める必要があると思っていたのです。
「むかつく」とか「うざい」などの一言でしか言葉を返さない子供にだって、その言葉の奥にはもっと伝えたい言葉があるはずです。しかし、上手に表現できる言葉を知らないがために、自分の気持ちを分かってもらえず、余計に心を閉ざしてしまうケースが多々あります。
更に、気持ちを分かってもらえないが故に、行き場を失した心は時として他人を傷つけたり、時には自分自身を追いやったりもします。こうして、キレやすい子というレッテルを貼られてしまうのです。
このような子供をこれ以上増やさないためにも、豊かな言葉を使いこなせるようになる練習は今後必要不可欠になると思います。また、多くの人とコミュニケーションを図ることで、その場の雰囲気を楽しいものにし、笑顔に包まれた教室になることができたら、きっと学校は素晴らしい場所に変われるはずなのです。
そのためにも、このような授業が今度他の学校でもどんどん推進されるよう強く望みます。きっと、そこから日本が「美しい国」へと変わる第一歩を踏みしめるのではないでしょうか。是非とも、安倍総理にもご一考願いたいところです。
2006年11月11日
ああ、出版!
城谷小夜子です。
制作中のCDの見本を持って、書店まわりを始めている。
名古屋、福井、金沢、富山、新潟、東京。
来週は、名古屋、大阪、京都、三宮、姫路。
図書コードがないことで、「う〜ん」と渋られることが多かった。
しかし、遂に、紀伊国屋さんが、渋った。
「JANコードないと、管理できないので、多分受けらません」
アマゾンにこのCDを出したいと思っても、図書コードとJANコード取得が条件。
「コード番号は絶対必要」という、わたしの予感が当たったのだ。
理事会で、提案したら、「いらない」と反対されたので
そのままにしてきたのだが、
実際に営業してみると、絶対必要。
わたしとしては、早く世に出したいと思っているが、
ちゃんとコード番号を付けて、書店に届けよう、と決めた!
図書コード取得までに2週間かかるという。
JANコード取得も2週間、しかも印刷しなくてはならない。
月曜日に、松戸の商工会議所に書類を持って行き、相談。
その足で、JANコード印刷の会社に行ってこよう。
時間との戦い。
しかし、
きっと、今月中には、書店に届けることが出来る。
きっと出来る。
気がついたら、
「和の輪出版」が出来ていた。
手塚治虫さんがラストメッセージでいったことばが、今のわたしの座右の銘です。
「なんにでも挑戦して、なんでもやってください」
2006年11月07日
演劇セラピー
私は、「日本文化を取り入れた演劇セラピー」を作りたい、と
ずっと思っている。
ドラマセラピーはロールプレイとして、日本でも取り入れているところもあるが、
俳優達が関わっていないんじゃないかな?
私たち俳優が訓練してきている発声や身体訓練はなかなかおもしろい。
わたしは、特に伝統芸術に長く携わってきているので
能・狂言・歌舞伎・文楽などを取り入れた
日本独自の演劇セラピーのメソッドを作りたいと思っている。
今日は歌舞伎座の昼の部を観劇した。
伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)の通し狂言だったが、
片岡仁左衛門さんの八汐と勝元の二役がきっぱりしていて、本当によかった。
やはり舞台は品とパッションだ。
三津五郎の踊りはしゃれていて良かった。
2006年11月05日
時間を節約
ミヒャエル・エンデの『モモ』というお話があります。
昔読んだことのある有名な児童文学作品で、映画にもなっています。
本の帯には確か「時間どろぼうと、盗まれた時間を人々に取り戻してあげた女の子のお話」といったようなことが書かれていたように思います。
「時間どろぼう」達は、突然人々の前に現れ、「あなたはこんなに時間を無駄にしている。もっと時間を節約しなければならない」と吹き込みます。
人々は、なぜか時間どろぼうに会ったことを忘れてしまい、自分の意思で時間を節約しているんだと思い込む。そうして「時間を節約」し始めた人々は、なぜかどんどん忙しくなっていってしまいます。
時間を節約すればするほど、逆に忙しくなる、というのが印象的です。お金なら、節約すれば手元に残るけれど。
「時間を節約」するために、人々がどんな時間を削っていったかと言えば、「一見すると何もしていない時間」なんですね。
たとえば、ゆったりとした時間の中での、大切な人との、何気ないおしゃべりとか。
最近読んだ本の中に、こんなことが書いてありました。
新しい知識や経験を得た時、人の心は揺れ動く。
驚いたり、感動したり、悲しんだり。そうした心の揺れを静めるための時間が、人には必要だ。
特に生まれてからの時間がまだ短い子供は日々新しい経験なので、こうした時間のもつ意味は大きい。
「何もしない時間」って、実は大切なんじゃないか、と最近思います。
後で思い出すことのない時間。
ぼーっと景色を眺めていた時間。
日のあたる畳の上で、ごろごろしていただけの時間。
『モモ』の中で時間を盗まれるのは主に大人だったような気がしますが、今は子供も忙しいですよね。
学校(プラス宿題)、部活や塾もあります。それって本当に「普通」のことなんでしょうか。
「時間どろぼう」は、もしかしたらどこかにいるのかもしれません。
2006年11月04日
旅立ち
母が父の元へと旅立ちました。
父が旅立ってから8年間は子供に帰ったような母でした。
そんな母が辛い治療に頑張りぬき旅立ちました。
安らかな穏やかな笑みを浮かべた顔での旅立ちです。
「人生は早いよ」と母が以前に言っていた事を実感しています。
流れの中のこの一瞬は過ぎ去っていくもの。
すべては過去へと。
変えることの出来ない過去
悔いなく生きる事を改めて強く心に誓いました。
力なき母が最後まで生きる事のために頑張る姿。
その姿が生きるということそのものでした。
人が守らなくてはならないものは何よりも命。
それ以外はなんとか、どうにか必ず出来る。
どうぞ、今悩みの中にいるあなた、命はかけがえの無いもの。
命を大切にしてください。
私は心の中に両親への疑問を持っていました。
そのすべての思いが消え、理解することが出来、
また子供だった自分を反省しています。
今は生んで育てられた事への感謝の気持でいっぱい。
この数日間で沢山心に気づき、得られたものがありました。
すべては両親から私への心の遺産です。
有難うお父ちゃんお母ちゃん。
魂の存在証明
11月になり、2か月で1枚分のカレンダーも最後の1枚となった今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。日本ハムファイターズの日本一を喜んでいる龍之介です。
先日(10月28日)、札幌市で「心理療法カウンセリング講座」が行われ、私も参加しました。今のいじめ問題を反映してかマスコミの姿も多く、その日のニュースや翌日の新聞でも取り上げられるなど、注目度の高さを感じました。
今回配布されたいじめ対策マニュアルは、学校や教育委員会のいじめ隠しにも一石を投じるものとして、今後重要視されるのではないかと思います。また、効果的に学校にいじめの現状を伝える上でも、貴重なものだと感じました。これで学校によるいじめ放置などの惨状が少しでも改善されればと願わずにいられません。
さて、今回の講座の中で、特に印象に残ったことは、名前を呼びかけることの重要性でした。
つまり、いじめられている生徒に対して、先生が「私は、(生徒の名前)の味方である」と伝えることや、不登校の子供に対して手紙やメールを出すときに、親が「(子供の名前)へ」と必ず最初に名前を呼びかけることが、相手の心に響くメッセージを送る重要なポイントというものです。
また、うろ覚えなのですが、その日の午前中のテレビを見ていたら、日本ハムファイターズが日本シリーズ(特に札幌でのホームゲーム)で奮闘した一因が、ファンが選手の名前を連呼して応援したことが大きいと紹介されていました(実際に心理実験をしたところ脳の運動中枢が活発化されるとのことです)。
以前の安川先生の講座でも、同じことを仰っていましたが、今回はそのことと相まって、より深く心に刻まれました。
改めて振り返ると、名前を呼ばれるということは、その人が存在していることを示す最大の証明書ではないかと思います。しかも、他の誰かではなく、明らかに自分に向けられたメッセージであることを認識する上では、何よりも勝るものではないでしょうか。
名前を呼ばれることによって、今までさほど親しくなかった人との心の距離が一気に短縮されることもありますし、逆に相手を認めない手段として名前を呼ばないという心理テクニックもあるぐらいなので、名前の存在の大きさは相当なものだと考えられます。実際に、その人の名前は親が様々な願いを込めて付けられたものなのですから、そこには魂(もしくは言霊)が込められているはずです。もしかしたら、名前を呼ばれることで本能的に魂が揺さぶられているのかもしれません。
そう考えると、たかが名前と侮ることはできませんね。その人にしかないかけがえのないものとして、もっと大切にせねばと改めて感じました。