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2006年10月29日
北海道の歓喜
プロ野球、北海道日本ハムファイターズの日本一。
優勝が決まった26日は、北海道各地でお祭り騒ぎだったようです。
田舎の我が町でも、路上でビールかけをやったファンがいたんだそうで。翌日、家族がその場所を通りかかったところ、しっかりと路面がぬれていたそうです。
後始末が大変なんでしょうね、あれは(笑)。
もったいないと言うなかれ。お祭りですから。
お酒の飲めない自分からすると、飲むのも浴びるのも大差ないような気がするんですが、こんなこと言ったら怒られますね、本と。
あらためて思ったのは、人間には「お祭り」が欠かせないんだなー、ということ。
日常に対する、非日常。
世界各地、どんな小さな町でもお祭りのない町はないというのがそれを証明しているような。
「日常」に困難が多いほど、バランスを取るためには、「非日常」の重要性も大きいんだな、と思います。
ともあれ、そんな話より、日本シリーズです。
メンタル面では、ファイターズの方が有利だったかもしれないですね。
ファンとしては、今年の目標は「3位までに入って、プレーオフに出られたら理想」という感じでしたから。
「シンジラレナ〜イ」のは別にヒルマン監督だけではなかったわけです(笑)。
仮に日本シリーズで負けていても、ファンは間違いなく「よくやった」と迎えてくれるだろう雰囲気はありました。
ドラゴンズの方は、けして弱い球団ではないはずなのに意外なほど日本一から遠ざかっていて、「そろそろ勝ってくれよ」というフラストレーションがファンの間にもたまっていたと思います。
「勝たなきゃいけない」という空気もあったのでしょう。
ファイターズにも、当然それはあっただろうけど、それよりも「勝ちたい」という気持ちで戦うことができたのがよかったかもしれません。(「だから勝てた」なんて言いたいわけではもちろんないですが)
見ていて、「ああ、いいなー」と思ったのは、優勝が決まった瞬間。
ウイニングボールを取った森本選手が、ごく自然にセンターの新庄選手のもとに駆け寄ったこと。大抵は、マウンドに駆け寄るところです。(ちなみに新庄選手自身は、優勝の瞬間、ちゃんと外野席のファンの方を向いていましたよね?ファンが1番、というのはさすが。)
マウンドでは優勝投手を囲む輪ができていて、やがてその輪は自然に新庄選手達の方に移動し、そこで胴上げが始まる・・・・・・。
選手達が「自然に」行動していたことが、見ていてとっても気持ちよかったです。
「自分の気持ちを素直に表現していいんだ」という空気をチームに吹き込んだのは、やっぱり新庄選手なのでしょうね。
そうでなければ、「勝ってツーさんを胴上げしたい」なんてセリフは出てこないでしょう。
「やりすぎだ」とか、「新庄のための日本シリーズじゃない」とテレビで言っている人も見ましたが、仮に「新庄選手のためにも勝ちたい」と選手が思ったとしても、「新庄選手のためにもがんばって」とファンが思うことも、ごく自然な気持ちで、その気持ちを持つこと自体を批判するのはおかしなことなわけです。
プロ野球は歴史も長いだけに、「こうしなければならない」というのが結構多いように思います。
「某伝統チームのエースだから、大リーグ行っちゃいけない」とか(笑)。
50年、100年前から見れば格段に自由になったと言われるはずの現代なのに、ある面ではまだまだ「寛容さ」が足りてないのかなー、と思いました。
ともかく、北海道の野球ファンにとってはとびきり嬉しい出来事でした。でも、ファンの思いを言葉にするなら、1番ぴったりくるのは「ありがとう」です。
新庄選手、選手の皆さん、ヒルマン監督、スタッフの皆さん、ありがとう。
2006年10月27日
新しいこと
城谷小夜子です。
金曜から旅に出て、昨日帰宅。
今月は旅が多かったなぁ。
旅人間の私はいつも旅していたい。
この10月から新しいことが始まっています。
毎週金曜日の午後、
津田眞一先生の講義を学びに
大学院に通い出しています。
授業は、
英語で書かれたスーサ女史の「本覚思想」の読解と
パーリ語の法華経の読解。
わたしには、まったくなんの興味もなかったテーマなのだが、
津田先生の講義内容は、
わたしの奥深いところのものを呼び覚まさせつつある。
2〜6人で学んでいる。
贅沢だと思う。
ものすごくツイてると思う。
聴講生や外国からの留学生もいる。
みな穏やかだ。
正規の学生は5学年で20名という
こじんまりした学校だが、
その中心の教授は6人のうち、
3人の教授が知り合いだった。
いくら狭い世界だからといって、
こんなことってあるのね。
人は、いつもいつも自分の中にあるものに
引っ張られていく。
わたしは印度哲学、東洋哲学、深層心理学に
引っ張られていく。
2006年10月26日
生きる
母の容態が急変して今集中治療室で頑張っています。
毎日10分間だけ面会ができます。
点滴チューブや人工呼吸器、見ているのが辛い。
母は意識はあるので、本人にとってどれだけ苦痛なことか。
でも、生きるためだから。
生きていることは、時にはなにもかもいやになったり、
投げ出したくなったりもするけれども
死の側に立って、
生きているこの時点を見詰め直してみると、
また違う考え方が見えてきます。
命ある限り命を大切にしていくことが
また明日への希望に必ずつながっていく。
一日一日を大切に、隣の誰かの悲しみに気付き手を差し伸べ
生きていたい。
ある人が語る日曜日の概念
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。日本シリーズは地元・日本ハムファイターズを応援している龍之介です。今日勝てば日本一が決まるだけに、目が離せません。できれば、地元で決めて欲しいところです。
さて、この前の日曜日はフジテレビ系列で日本シリーズ第二戦が放送されたことで、久々に「サザエさん」の放送がありませんでした。滅多なことで番組がつぶれることがないだけに、非常に珍しいケースだなと思った矢先、ふとサザエさんフリークである大学時代の友人のことを思い出しました。
その友人は、かつて「サザエさんがない日曜日は、日曜日にあらず」という言葉を残しており、この前の日曜日もきっと「今日は日曜日じゃない」と断言していると思います。
ちなみに、私が「日曜日じゃないなら、一体何曜日なんだ」と問いかけたら、「笑点やいいとも増刊号のある土曜日」だと答えていました。笑点やいいとも増刊号も日曜を代表する長寿番組で、しかも笑点はサザエさんよりも歴史が古いのに(笑点は1966年、サザエさんは1969年に放送開始)、その辺りは認めてくれないようです。笑点が好きな身としてはちょっと悲しかったです。
そのせいか、番組が終わりに近付くと、気分が憂鬱になるそうです。特にエンディングでサザエさん達が突入して家が変形するシーンがそのピークなのだとか。しかし、そのシーンは「毎回見ても飽きないので見逃すわけにはいかない」と言う非常に微妙なファン心理を醸し出していました(最後のじゃんけんも常に真剣勝負で挑んでいるとのこと)。
ただ、それは好きな番組だからこそ、終わるのが悲しくなるのであって、「番組が終わる=日曜日も終わりが近付いている」ことを実感し憂鬱になる、俗に言う「サザエさん症候群」とはちょっと違うようです。ただ、月曜日は嫌いとのことですが。
ちなみに、友人はほのぼのしていて、安心して見てられるからサザエさんが好きだと言っていました。確かに、何かと世知辛い今の世の中、ほのぼのとして落ち着いて見られるサザエさんのような番組は貴重は存在かもしれません。また、「お金はあまりないけど、家族愛があれば何とでもなる」という、今の日本人が忘れかけた大切なものを気づかせてくれる上でも、サザエさんは立派な番組であるとも。
そう言われると、何となく的を射ている気が。設定は現代ではあるけど、決して現代的ではなく、ノスタルジックな雰囲気も併せ持っているし、そこに古きよき時代のニュアンスを秘めているように思えます。要するに、道徳の教科書的存在であり、日本が培ってきた文化や歴史の象徴でもあるのかもしれません。うーん、実に奥が深い。
ちなみに、その友人とは大学卒業以来会っていないのですが、磯野家のような温かい家庭に憧れていると熱論を振りまいていただけに、きっと幸せな家庭を築いていると信じています。できれば、一緒に日ハムを応援してくれていると嬉しいんだけどな。
2006年10月22日
いじめについて
「いじめ」を「虐め」と書いている本を見かけました。
「いじめ」とひらがなで書くと、なんか子供の遊びみたいになっちゃって実態が伝わらないと前から思っていたので、この表記の方がいいかもしれないと思いました。
この「ギャク」という字、見た目にインパクトがありますし。
虐めによる子供の自殺が続いてしまいましたね。こういうことが起きると、本当にやりきれないです。
虐められている子供が周りに訴えた時に、必ずしも深刻に受け止めてもらえないケースがあるように見えます。
それに、実際に虐められている時には、自分の気持ちを満足に言葉にするような余裕はありません。
虐めの実態が、そもそもよくわからない、という親御さんもいると思います。
テレビで「金銭の強要、暴力等は見られず・・・・・・」なんて言っているのを聞くと、虐めってそういう問題じゃないのにな、と思ってしまう。
まず、「虐め」ってなんなんでしょうか。
個人的には、「他人の人権を踏みにじること」つまり差別と同じものだと思っています。相手を人間扱いしない。人格を傷つける。
差別とか、そういうもののことを考えるのは正直怖いですが、人間にはそういう、人を差別する心もあるんですよね。だからこそ、差別は認めちゃいけないってことになっているはずです。
虐めも同じじゃないでしょうか。
例えが悪過ぎるけれど、痴漢行為が許せないのは、単に生理的嫌悪を与えるから、ってことではないですよね。自分と同じ人間であるはずの相手を、ただの性的なモノとして見なすから。相手の「人格」を無視した行為だから。
それってものすごく悔しいことだってわかるはず。
「ちょっとさわっただけ」とかそういう問題じゃないんですよね。
「虐め」をお金を取ったり、暴力を振るったりすることだけだと思っている人は、逆を言えば言葉や態度だけで人を殺せるはずはないと思っているのでしょうか。
人間扱いされないこと。「不幸になっちまえばいい」「死んだっていい」と悪意をぶつけられることの恐ろしさを知らないということなのでしょうか。
ふと思い出したのは、最近読んだマンガです。「ヒロシマ」のことを扱った本です。
原爆の恐ろしさ。大勢の人を殺し、街を破壊したこと。
その時、爆弾を落とした時、下にいる人達のことを人間だと思っていなかったこと。
「相手を人間だと思わない」心は、突きつめれば人種差別や戦争にまでいってしまう。
「虐め」に深刻とか、深刻でないとかないんですよね。「虐め」そのものが問題なので。そういう認識をしていかなきゃいけないんだよな、と思いました。
2006年10月20日
父さんの蟹
今は亡き父の話題が夕食の時に上った
蟹 ホッキ アサリ ホッケ タラ コマイ 秋味
蕗 マツタケ ウド 蕨 ゼンマイ
沢山の山の幸、海の幸を食べさせてくれた。
朝まだ薄暗い時間に出て行き、沢山の収穫を誇らしげに帰ってきた。
「父さんの釣ってきた蟹が食べたいね」
「湯がきたての甲羅にご飯を入れて美味しかったね」
もう10年もたつけど、私達の心にちゃんと生き続けてくれている。
父さん、父さんとの最後の時の約束は守れ切れないこともあったけど、
そっちで心配しないでね。
自分の心に背く事無く、自分で考えて、自分の足で歩き、ぼちぼちやっているから。
私も最後まで他人の事を思いやり生き抜いた父さんの様に生き、最後には約束必ず守るからね。
父さんの蟹がまた食べたいな。
2006年10月19日
カフェ巡りでもしてみようかな
空気が澄んだ秋の空を見上げると、なぜか心が和むのを感じます。こんばんは、ちょっとおセンチに決めてみた龍之介です。
しっくり来ないので、早速本題に突入!
先日、知人から「大人が楽しむカフェ」と銘打ったガイドブックを貸してもらう。
最初は単にどこか美味しい店でもないかと思い、情報収集のつもりで見せてもらったのだが、見ていくうちに料理やコーヒーを楽しむよりも、その店の雰囲気を堪能するといったニュアンスの店が多いことに気づく。
昔の倉庫やアトリエを改造して作ったカフェから、アンティーク調のインテリアに囲まれ、シックな雰囲気を漂わせているカフェ、更にはジャズ喫茶まで、まさに「大人が楽しむカフェ」と銘打っている通りである。
そのため、不安なことが一つ生じる。果たして、たまにスタバかインターネットカフェに行く程度の男(ちなみに、メイド喫茶には一度も行ったことがない)がこんなブルジョワなカフェにいきなり出向いても大丈夫なのかと。更に、ジーンズなどのカジュアルなファッションではなく、正装で行くべきではないのかと考え込んでしまう。平日の仕事帰りなら背広を着るから問題ないとしても、休日も背広というのはちょっとなーとか思っていたのだが、読み進めて行くにつれて、カジュアルな店も沢山あったので正装しないでも大丈夫だと分かり、一安心。ちょっと考えすぎたようです。フォーマルな服なんて着ていたら、マスターに間違われるかもしれないから、かえってカジュアルな方がいいか。
それにしても、店自体が一つの芸術作品のように思える店もあるし、もしかしたらここに芸術の秋を楽しむヒントが隠されているのかもしれないな。しかも、店の雰囲気で芸術の秋を満喫するだけでなく、食事を堪能することで食欲の秋も同時に満たし、ついでにその店まで自転車で行けばスポーツの秋も同時にこなすことができるではないか。思わず「これはまさに秋のフルコースや〜」と彦麻呂のマネをしてしまうぐらいの至れり尽くせりぶりだ(おまけにガイドブックを読んだことで読書の秋も満たしている)。ちなみに、トレッキングはこの前楽しんできました。穏やかな秋の光に包まれた森林探索はリフレッシュするにはうってつけで、快適でした。
こういったおしゃれな雰囲気のカフェを何件か知っておけば、小腹が空いたときに立ち寄れそうだし、何かと役に立ちそうだ。面白そうなので、何店かリサーチをしてみようかな。こういうところで趣味の幅を広げることができるかもしれないし。
2006年10月15日
今日にYES
今日は、砂田さんとの稽古の日だったんだけれど、
なにか勘違いなんだな、砂田さんは来なかった。
台本の直しがなかなか出来なかったので、
今日の稽古は流れてよかったかも。
稽古は17日になった。
明日1日、推敲する時間が与えられた。
CD制作は、順調といえるのかな。
いえるんだろうな。
初めての制作だし、他と比べても意味ないもんね。
ジャズシンガーの大木トオルさんの話聞いても、
松江の中学校の国語教師・桔梗亜希さんの短歌の授業みても、
家具職人、黄瀬徳彦・唐津裕美夫妻の話聞いても
苦労を感じないで
自分のやりたいことに集中していけるのか、
が一番のポイントとわかる。
「なるたけYESという、引き受ける、断らない」
と今月から決めたんです。
楽になりました。
来たものは、引き寄せたものだから。
明日は、
中島さんと横浜に打合せに出かけます。うまくいきますように!
北海道ライフ
昨日、朝、霜が降りました。
夕方頃に出歩くと雪虫を見かけることも多くなりました。知らない方のために、「この虫を見ると何週間以内に雪が降る」とか言われている、結構、きれいな虫です。
加速度的に冬に近づいているようです。
秋も深まり、同時にきのこシーズンに突入しました。
うちの親はきのこ採りの趣味があるので、毎年この時期にしか食べられない秋の味覚を楽しむことができます。
「山菜採り」とか「きのこ採り」と聞くとご心配なさる方もいるかもしれませんが、遭難したり、熊と遭遇したりする心配のない近くでも採れることが、我が町の嬉しいところです。
そして誰の山で採っても誰も気にしないのが北海道のいいところです(笑)。
「山に持ち主がいる」っていうのは、北海道の人の感覚じゃないんでしょうね、多分。
ですが、例の「台風並みの低気圧」の通過により、災害に縁遠い我が町でも、大雨と強風が吹き荒れました。
テレビのニュースで、家の近所にある川が危険水位を越えた、と聞いた時はちょっと信じられなかったですね。
幸い、決壊するような事態は免れましたが、川辺のきのこ達が泥水をかぶって被害を受けてしまいました。今年は豊作になりそうだったのに・・・・・・。
でも、今月は北海道にとって嬉しいニュースがありました。
プロ野球、北海道日本ハムファイターズのパリーグ優勝です。
北海道の野球ファンにとっては、ちょっと表現しようがないくらい嬉しいです。だって数年前までは球団そのものが北海道に無かったんだから。
札幌の街でプロ野球の優勝パレードなんて、夢に見たことすらなかったですね。
選手の皆さんにはしっかり防寒対策をしていただいて、北海道らしく雪降る中での優勝パレードなんていうのもいいですね。11月じゃちょっと早いけれど。
ファイターズといえば、今季限りでの引退を表明している新庄選手がいます。
プロ野球界に、野球ファンに、多くの輝きと喜びを残した新庄選手の現役生活が、有終の美をもって飾られることを願っていました。
おめでとう。ありがとう。次は日本シリーズ。
2006年10月13日
ぐるりと旅
城谷小夜子です。
10月6日から出かけた。1週間の短い旅。
しかしとても充実した毎日だった。
東京〜金沢〜京都〜岡山〜広島〜大阪〜三宮〜そして東京。
さっき帰宅。
金沢は宝泉寺さんの400年祭のお手伝いが出来て嬉しかった。
岡山ではマラトさんのロシアへの帰国直前に再会できて嬉しかった。
広島では次の作品の企画の方向性が見えたので、良かった。
大阪では、四天王寺の愛染さんにお参りできて、
山岡さんから愛染明王さんお話を聞けて嬉しかった。
三宮では「太功記十段目〜尼崎の段」の稽古が進んで有り難かった。
あしたは
津田眞一先生のゼミの日。
楽しみだ。
こうやって、なんでも楽しみにして、
なんでも嬉しがっていることは
いいことだ。
このところ、ずっと「運命」について考えている。
考えるほど興味が湧いてくる。
すべての人は、
自分の人生の中で
「みるべきものはすべて見て」
この世を去っていくのではないだろうか、
と考えるようになった。
そう考えたら、
気持ちがとても
楽になる。
仕事は山積み。
みんな、わたしが引き寄せた仕事。
ありがたく仕事させてもらおう。
2006年10月10日
世の中捨てたものじゃない
認知症の母が骨粗鬆層で腰椎骨折
お世話していただいている方からの苦情の電話が
ひたすら平謝りする以外にない
そんなこんなで結局はケアマネージャーに相談へ
母の担当はケアマネステーションの所長
早速リハビリの為の施設を確保してくださった。
病院の先生がよく手配できたねと驚いている
そっかそんなに空きがないんだとその時気付いた私だった。
こんなに配慮していただいていたなんて、母の通院の帰りにお礼に伺った。
ニコニコと私にあまり自分を責めないでとまた暖かな言葉がけを戴いた。
感謝の気持ちでいっぱい。
自分ひとりではどんなに頑張っても手に負えない時、SOSに限る。
逃げ出さず、受け止め、前を向いて歩いていると必ず手を差し伸べてくださる人がいる。
所長に相談していた私を見ていた認知症の他のおばあちゃんが、
帰ろうと外に出た私に、コンコンと窓をたたいてにっこりしてくれている。
おばあちゃんの笑顔が元気だしなさいと言っているように見えた。
表現しきれないほどありがたかった。
帰宅して夕食の時に今日の出来事を家族に話していると、
息子が「今やらないと後で後悔するよ」といってくれた。
思ってもいなかった一言に大人になった事を感じた。
これからもまだ不安はあるけれど、母さん手をつないで歩いていこうね。
いろんな思いが交錯した一日だった。
本当に人は一人じゃないんだね。
2006年10月09日
1万分の1の選択
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。秋の夜長にココアを飲んでいる龍之介です。寒さが増すと温かい飲み物が恋しくなります。
さて、本日の本題ですが、キャッシュカードの暗証番号を変えました。
自分の誕生日などだとハッキングされやすいというニュースを見て不安になってことや、ATMで簡単にできるというので、いい機会だと思いやってみました。で、あまりにもあっさりできたので拍子抜けしてしまいました。
しかし、この拍子抜けをする前には、かなりの苦労があったのです。と言うのも、その4桁の数字がなかなか決まらなかったのです。
適当に4桁を選べば大丈夫じゃないかと思っても、その番号を忘れてしまっては意味がないため、他の人に分かりづらく、自分には分かりやすい番号がなかなか思いつかないのです(恥ずかしい話、別のカードの暗証番号を忘れかけたことがあります。自転車のナンバーロックの番号(先代のもの)にしたら、その番号をど忘れして、思い出すまでに何回か間違えてしまう有様)。
だからと言って、電話番号の下4桁や車のナンバープレートだと、他人に自分の暗証番号を堂々と公開していることになり、危険極まりないですからね。さすがに無理。あと、自分の名前を数字に変えているって人もいるみたいですけど、数字変更が不可能な名前なのでこれは却下。
人によっては、生年月日(元号か西暦の下2桁+月+日)にする人もいるようですが、これは誕生月か日が二桁の人にはちょっと無理ですね(自分は該当しない)。途中まででも構わないという人もいると思いますが、自分としてはきっちり収まった方がいいので、わがままだと思いつつもこれまた却下。
ちなみに、暗証番号は好きな人の誕生日とかにしても危険度は変わらないそうです。要するに、4桁の数字に変えられる日付はどれも一緒だとか。
で、ふと思ったのが、他の人はどうやって番号を決めているのかということ。あと、ナンバーズをやっている人もどうやってその番号を決めているのかと。人によっては勝負番号を決めて、一貫してその数字を買っているようですし。
でも、そういう数字を作っておけば、暗証番号もその数字にできそうだから、かえって都合がいいかもしれませんね(その番号を秘密にしていればの話ですが)。
……とまぁ、こんなことを延々と考えていたのですが、結局はよく仕事で使っている番号を思い出し、それに落ち着きました。だったら、最初からそれにしておけよと自分自身にツッコミを入れる始末。
ちなみに、複数のカードを持っていても、暗証番号を統一するのは危険だということです。万が一、カードが盗難にあって、番号が一つでも分かれば、あとは芋づる式にやられるとのことなので。
ですから、いざというときにあっさり決められる数字は、あらかじめ数パターン決めておいた方がいいらしいです。保険として他の数字も考えなくちゃいけないな。今度は何にしよう……。
星の王子様
絵をみた。
小さな地球の上に星の王子様が立っている。
彼の周りには、何本か、草が花をつけている。
あとは火山の噴煙がまっすぐ上にあがっているだけ。
そして、地上の荒涼とした様子とは対照的に
空には、大きな星たちが思い思いに輝き、それぞれの存在を主張している。
サン・テグジュベリは、1943年に、偵察飛行にでたまま帰らなかった。
その知らせをきいたドイツ軍は敵であるにもかかわらず彼の捜索を始めたという。
しかし、敵味方をこえた捜索にもかかわらず、彼の消息は不明のままだった。
その残骸が地中海で発見されたのは、21世紀になってからだった。
小さな地球と大きな星たち。
なぜ、地上の人々は争うのか。
夜間飛行は、星たちと語り合うひと時であったであろう。
空からみる地上絵には国境などない。
ただあるのは、山脈であり、平野であり、川であり、海である。
地上から離れた視点から見えたものはなんだったのだろうか。
2006年10月08日
身近な自然
姉と2人で我が家の愛犬をつれ、珍しく夜の散歩をしていた時のこと。どこからか叫び声のようなものが聞こえてきます。
猫?それとも人?と辺りを見回していると、その声が近づいてきました。
正体は、鳥の群れでした。
多分渡り鳥だと思います。編隊を組んで、南の空に飛んでいきます。
以前にも白鳥の群れを見たことがあるけれど、めったに目撃できるものではないので、ちょっと感動しました。
それにしても、鳥って鳥目じゃなかったでしたっけ(笑)。
また、休日に、市内を流れる川に架かる橋の上を通りかかった時、何やら橋の下を眺めている人達がいます。
こんな所に観光客?とさして気にもせず通り過ぎたのですが、帰り道、同じ場所に来た時、川の浅い所で何かが光っています。
鮭でした。
「鮭が秋に川を上る」ということを知識として知ってはいても、実際に目撃するのは全然違います。すごいことなんだなあ、って思いました。
川を上ってきた鮭って、全身ぼろぼろです。体の表面が痛々しいほどにはげています。
こんなにまでして・・・・・・本当にこんなにまでして、川を上ってくるんだなあ、って、畏敬の念を持たずにはいられないものがあります。
ごく近所にある川です。子供の頃は身近にそんなものがあることも気づかずにいたけど、考えてみるとちょっともったいないことをしたかも(笑)。
2006年10月01日
町営温泉で
ひたすら草むしり
たっぷりと疲れました。
また、親の介護の問題が起こりだし正直泣きたい気持ちで胸がいっぱい。
一難さってまた一難
そんな時は無心に草むしり
その後は夫と町営温泉へ
駐車場で車をバックさせていると、なにやらこちらをじっとみている人が
なんか茶髪でヤンキーっぽく嫌な感じと思ってしまった。
と思っていたら、その人が私の目の前に
「よかったら、これ使ってください」と無料入浴券を二枚差し出してくれた。
この瞬間、自分の小さな気持ちが恥ずかしくなった。
人を見かけで判断してしまうと、世間を狭くしてしまう。
自分を受け入れ、他人を受け入れる
気持ちが晴れていないときは難しいな。
明日からまた落ち着いていた難問に向かわなくては
きっと神様がこの問題を解いてみなさいということかな。
これをなんとか越えたなら、少しはおおきな気持ちをもてるかな。
また、どこかで誰かの優しさに触れながら
感謝しながら
穏やかにたくましくなりたい。
季節の移り変わり
10月ですね。
私の住んでいるところでは、次第に「秋」のムードが濃くなってきています。
今はまだ街路樹も緑だけれど、白樺などの木が葉っぱを落としてしまうと、かなり寂しい風景になってしまいます。
「食欲の秋」「読書の秋」など、思えば秋は私にとっていい季節であるはずなのに、昔からなんとなく「物寂しい」というイメージもあります。
もうすぐ1年が終わってしまうのだなあと思うからなのでしょうか。
逆に、雪が降るとほっとします。北国の人にとっては厄介者扱いされることも多い雪なので、こういう方が珍しいのですが。
雪は、地面が凍らないように守ってくれる、暖かいおふとんです。
一面真っ白な景色。
早朝の樹氷、ダイヤモンドダスト。
我が町は、やっぱり冬が1番美しいですね。
「春愁」という言葉が本に出ていました。
春の愁い、というのもあるのですね。
今は秋。秋の愁い。
愁いにも季節ごとの違いがあるようです。
風景が、人の心を動かすことがあります。どんな景色を見ても、心が動かない時もあります。人の心は、色々です。