« 能動的な秋 | メイン | September Rain »
2007年09月14日
無理している時
頑張れ、という言葉は人を追いつめてしまうことがある。
逆に「無理しなくていい」と言うのも結構難しい、と最近思っています。
なぜかというと、自分が無理しているということに気づくのも、実は難しいことだから、ではないでしょうか。
どのくらいが自分にとって「無理」になるのか。それはその人が自分自身と向き合いながら、時間をかけて、少しずつ知っていくしかないことなのかもしれません。
自分のこともそうですが、身近な人が無理をしている姿を見ているのは辛いもの。
いくら「無理しなくていいよ」と言ってみても、本人がそれに気づいていなければ伝わらない。
でも、明らかに疲れているし、イライラしているし……自分を追いつめている。
何もできなくて、結局ただ見ているだけなのが歯がゆい。皆さんは、そんな経験はないでしょうか。
そういう時、「こうすればうまくいく!」みたいな回答は、きっとないんでしょうね。
家族とか、自分の大事な人が困っていて、それを助けるためにできることがあるなら、誰だって喜んでやるでしょうけど。実際には、何をしたらいいのか途方に暮れることも多くて。
ギリギリ追いつめられている時というのは、気がつけば悪い方悪い方を選んでいたりするもの。
余裕のない精神状態であっても、時にはホッと息をつく瞬間がやってきます。そういう、傍目には「何もない」時間にこそ、自分を振り返ることも多分あるのではないでしょうか。
その時ただ静かに話を聞いてくれる誰かがいたら……。
まあそれが無理なら、ともかく完全に1人になれる空間が守られていたなら。
どちらの場合でも、やることはただ「待つ」ことかもしれません。ほとんど何もやっていないようにうつるかもしれません。
「あなたを信じる」と言って、実際には相手を見ようともせず思考停止してしまうのとは違っていたり、けっこう難しかったりもします。
本当の意味で「待つ」というのは、実はとても尊いことなんじゃないかと思います。
投稿者 YUKI : 2007年09月14日 14:35