2007年04月17日
切れ目なく続いているもの
NHKテレビで、あるタレントが101歳のおばあさんに、「どうですか、101歳も生きてこられて」と質問した
ところ、そのおばあさんは「なんてことないね。いつのまにか、ここまで生きてきただけのことだよ」と答えていたのを聞いて、ちょっとビックリしました。
そのおばあさんだけでなく、もう一人の100歳のおばあさんも「その時、その時に合わせて生きてきただけ」と答えておりました。
100歳も生きてきたからといって、どうということはなかった……これはすごいことをいっているなあ思い、
いろいろと考えさせられました。
人生にはここまで生きてきたら終着点といえるものはないこと。また、ここまで生きたらすべてが分かる
というようなものではないこと。つまり、切れ目なく続いているもの、いつも今日1日1日が連綿と続いているのが「生きている」ということではないだろうかと思います。
そして、その歩みのなかで、ふっと途切れることが死を意味しますが、しかし当人にとっては、その最後の日もこれまで続いてきた「今日」という1日であり、終わりの1日とはいえないのではないかと思えます。
金太郎飴の、どの部分を切っても金太郎の顔がありますが、人生という飴の棒もまた、そのどこを切っても、ただ「今」というものがあるだけではないでしょうか。
100年という時間の棒は、外から見れば長く見えるでしょうが、その棒の内側では、長さなどというものはなく、ただ「今」という断面があるだけのような気がします。
101歳のおばあさんは、確かに100年という年輪を顔に刻んではいますが、しかしその顔は「わたしはいつも今こうしているだけだよ」といっているように感じました。
また「その時、その時に合わせて」生きてきたという、もう1人のおばあさんにも同じことを感じました。
「柳に雪折れなし」といいますが、柳のように風になびくままに、さらさらと「今」を生きる生き方が、長寿の
秘訣ではないか。…そんなことを考えさせられました。 合掌
投稿者 ZEN754 : 2007年04月17日 11:27