2007年03月18日
悲しみを乗り越えない
今回は巷で話題の「千の風になって」のお話です。
あの詩自体は、以前から本屋さんその他で見かけていたんですが、急に有名になったのは、昨年の「紅白歌合戦」がきっかけらしいですね。
大切なものを亡くした、重たい、別離の歌。
最近、この詩が「悲しみを早く乗り越える」ための励ましの歌、といった解釈がされているのを見かけて、同じ歌でも、聞く人によって全然違う意味を持つんだなあ、と改めて感じました。
自分にはこんな風に聞こえました。
『ずっとそばにいるよ。
遠くにいってしまったんじゃないよ。
私は世界と1つになってここにいる。この世界がある限り、消えてなくなることはない。
だから私のいるこの世界を愛してほしい。
それを希望の代わりにして、あなたは生きていってほしい。』
失われたものは、2度と戻ってはこない。
それだけじゃなく、この世のどんなものでも代わりにはなれない。欠けた心を埋めるものは無い。
癒すことのできない悲しみだってある、なんていうと嫌な顔をする人もするし、それはそれでいいけれど。
忘れることだって1つの選択だけど。
「こうしなきゃいけない」とか「こうしちゃいけない」とかいうと、人は苦しくなる。
「忘れなきゃいけない」とか「悲しんじゃいけない」とかじゃなくて、どちらもありなんだよ、と。
個人的には「悲しみを乗り越える」っていう言い方を聞くと、ちょっとヤなんです。
なんか「踏み越える」って言ってるみたいだし(笑)。悲しみを大事にしたっていいじゃないか、って。
要するに、どちらが尊いとかじゃなくて、1つの選択かな、と思いました。
投稿者 YUKI : 2007年03月18日 11:34