2006年11月05日
時間を節約
ミヒャエル・エンデの『モモ』というお話があります。
昔読んだことのある有名な児童文学作品で、映画にもなっています。
本の帯には確か「時間どろぼうと、盗まれた時間を人々に取り戻してあげた女の子のお話」といったようなことが書かれていたように思います。
「時間どろぼう」達は、突然人々の前に現れ、「あなたはこんなに時間を無駄にしている。もっと時間を節約しなければならない」と吹き込みます。
人々は、なぜか時間どろぼうに会ったことを忘れてしまい、自分の意思で時間を節約しているんだと思い込む。そうして「時間を節約」し始めた人々は、なぜかどんどん忙しくなっていってしまいます。
時間を節約すればするほど、逆に忙しくなる、というのが印象的です。お金なら、節約すれば手元に残るけれど。
「時間を節約」するために、人々がどんな時間を削っていったかと言えば、「一見すると何もしていない時間」なんですね。
たとえば、ゆったりとした時間の中での、大切な人との、何気ないおしゃべりとか。
最近読んだ本の中に、こんなことが書いてありました。
新しい知識や経験を得た時、人の心は揺れ動く。
驚いたり、感動したり、悲しんだり。そうした心の揺れを静めるための時間が、人には必要だ。
特に生まれてからの時間がまだ短い子供は日々新しい経験なので、こうした時間のもつ意味は大きい。
「何もしない時間」って、実は大切なんじゃないか、と最近思います。
後で思い出すことのない時間。
ぼーっと景色を眺めていた時間。
日のあたる畳の上で、ごろごろしていただけの時間。
『モモ』の中で時間を盗まれるのは主に大人だったような気がしますが、今は子供も忙しいですよね。
学校(プラス宿題)、部活や塾もあります。それって本当に「普通」のことなんでしょうか。
「時間どろぼう」は、もしかしたらどこかにいるのかもしれません。
投稿者 YUKI : 2006年11月05日 08:40